7月14日から東京・初台の東京オペラシティアートギャラリーで開催されている「イサム・ノグチー彫刻から身体・庭へー」の展覧会に行ってきました。
没後30年が経過した今年、国内12年ぶりの回顧展を開催するということで、注目が高まっています。
イサム・ノグチが取り組んできた彫刻、舞台美術や家具、照明器具のデザイン、陶芸、庭、ランドスケープ・デザインをみることができます。
イサム・ノグチとは(1904 -1988 )
父親の英文学者で詩人の野口米次郎と母親の作家レオニー・ギルモアとの間に1904年アメリカのロサンゼルスで生まれ、1907年に日本に移住。幼少期を日本で過ごした後、1918年に渡米。
1924年、ニューヨークのレオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校の彫刻クラスで学日、2年後の1926年にデザイン・美術アカデミーのサロン展に出品を始める。
1927年にグッゲンハイム奨学金を受けてパリに行き、彫刻家コンスタンチン・ブランクーシの助手をつとめる。1930年にパリに戻った後、北京に旅して斉白石に墨絵を習う。また、京都でテラコッタの彫刻を制作。
今回、北京で描いた墨絵8点や、京都で製作したテラコッタの作品2点の展示もあり、特に毛筆の『北京ドローイング』8点は見どころの一つになっています。
1935年、マーサ・グラハムの舞踏団のために初めて舞台装置を制作。
1942年にニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにアトリエを構える。彫刻を作成する以外にも、家具や照明器具などのデザインを行うようになる。
1949年、ヨーロッパ・アジア旅行を始める。日本では岐阜ちょうちんを新たな「光の彫刻」に再生させた「あかり」のデザインを開始。また、陶器の彫刻を作成。
1958年にパリのユネスコ本部の庭園完成後、1961年にニューヨークのロング・アイランド・シティに、アトリエを設ける。庭園や、公共広場などの環境設計を行う。
1969年に香川県牟礼町に、アトリエを築く。
その後、デトロイトの「フィリップ・ハート・プラザ」やマイアミの「ベイ・フロント・パーク」、コスタ・メサの「カリフォルニア・シナリオ」などを設計・制作。
1987年にロナルド・レーガン大統領から、国民芸術勲章を受ける。
1988年高松空港にモニュメント「タイム・アンド・スペース」と札幌市郊外「モエレ沼公園」のマスター・プランに着手。12月30日に死去。
展示作品について
「身体との対話」「日本との再会」「空間の彫刻─庭へ」「自然との交感─石の彫刻」の4章で構成され、作品数は約80点あります。
「身体との対話」
特に、抽象彫刻の制作の際に、ノグチが意識していた「身体」と、その意識から派生した「空間の彫刻」庭園への情熱に焦点を当てています。
「身体性」への問いかけの出発点とも言える北京滞在中の毛筆の『北京ドローイング』8点は、今回日本では初公開となり、見どころの一つです。
「日本との再会」
1950年に来日した際に、日本の芸術家と交流を深める中で、彫刻作品だけではなく、家具、照明デザイン、建築インテリア、庭園など社会や生活の中で機能する作品を製作するようになります。
紙、竹、金属を使用して作られた光の彫刻「あかり」の作品は、一部写真を撮ることができます。今でも人気のインテリアアイテムのため、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
「空間の彫刻─庭へ」
「彫刻」を「大地」に結びつける試みとしてランドスケープデザインにも取り組みました。
日本庭園をヒントに作られた「チェイス・マンハッタン銀行プラザのための沈床園」は、人々が憩うことができる空間を演出しています。画像をみることができます。
「自然との交感─石の彫刻」
イサム・ノグチの後半生を代表する、玄武岩や花崗岩を使った石の彫刻作品の展示もあります。
地球の歴史や自然の摂理を物語る物質として石と向き合い、人間の心・身体と大地の関係性を問いかけています。
詳細
イサム・ノグチ ─ 彫刻から身体・庭へ ─
Isamu Noguchi: from sculpture to body and garden
期間:2018年7月14日(土)~9月24日(月)
会場:東京オペラシティ アートギャラリー(3Fギャラリー1, 2)
住所:東京都新宿区西新宿3-20-2
開館時間:11:00~19:00(金・土は11:00~20:00/最終入場は閉館30分前まで)
休館日:月曜日(但し祝日の場合翌火曜日)、8月5日(日・全館休館日)
入場料:一般 1,400(1,200)円、大学・高校生 1,000(800)円 ※中学生以下無料